墓場の裏から視ていた

孤島に屍骸、それの横に落ちていた日記。株の事とかを記録してある。

仮にあれが先取りコロナだったとして

 19年の11月後半に人生初の入院を経験し、12月からは通院治療をしていて、その際に総合病院の向かいにある調剤薬局で塗薬を貰って帰っていたが、中旬になった最後の通院日はそこでエラい長時間待たされた。そしてその時は広くない待合場所の換気が随分と悪いなと感じながら、寒いのも嫌だしまぁいいかと座っていた。
 待たされた理由は自分の前のお婆さんが驚くほど大量の薬を処方されていて、手配やら確認やらで時間を要していたからだけど、小さな身体で全盛時の朝青龍の懸賞金のような厚みの薬の束を抱えて出て行くその姿以外にも、ひょっとしたら日本の医療・保険各行政の如何わしい一端ではなかったのか、妙な光景を垣間見ていた。
 3人の若い女が中年の男に付き添われて入って来た。初回らしく、簡単な問診表を渡されて書き込むのだけど理解が曖昧なようで、男が指を差して一つ一つ説明し、若い女3人は見合わせながら記入していた。その会話は中国語のようだったが、男が日本語のできる中国人なのか中国語のできる日本人なのかは分からない。漢字混じりの簡単な質問文が理解できない若い女3人は日本に来てかなり日の浅い中国人で間違いないが、その後待っている間ずっと、明るく大きな声で会話を楽しんでいた。それはもう本当に若さと元気いっぱいでずっと。
 対照的に中年の男は一人離れて隅に席を移し、黙って腕組みをして目を瞑ってジッとしていた。自分は性善説に立ち、中国人の就労を受け入れている何処かの営業所の責任者が、そこで風邪でも流行ったのか病院まで3人を引率して来ていたもの、とは見ていたが実際はどうなのか。
 ようやく自分に処方された塗薬一個を受け取り外に出ると異様。調剤薬局の前には10人ほどの若い女が待機していて、その会話は元気な中国語。ピラピラの用紙を手にしていて、直に前の3人と入れ替わりで処方薬を受け取りに中に入るだろう気配。ちなみに大きな病院前なので他にも調剤薬局が並んであるが、そちらに振り分けられている別グループがなかったとしても既にちょっとした集団の様相。終わってみればよい社会勉強にもなった人生初の入院体験の最後に、日本全国、毎日あんな様子で大量に薬がバラ撒かれているのかなぁとの感想を加えて回復。
 しかし明けて2020年の正月からの一週間以上、今度は妙な風邪にうなされた。とにかく熱が下がらない。やっと38度を下まわってもぶり返す繰り返しで辛かった。これまでたまに経験のあった熱風邪と同じように一日、二日ですぐに治るだろうとの見込みは通じず、四日目あたりから別の知らない病気なのではと疑い始め、喉は痛いし苦しいし、体力も削られてきて朦朧として、ひょっとしてこのまま・・・となりかけた七日目あたりからようやく下がりだした。初めての症状は謎のままも、潜伏期間の逆算からして感染経路は調剤薬局しか有り得ない。
 あの直後から始まったコロナ後の世界。いつまで続けるつもりなのかと呆れていたが、むしろこれからを本番としたい人達が主流のようだ。既に行き過ぎの感。こんな世の中に身を置くことになるとは考えられなかった事ばっかりなので、もう一度だけ。