墓場の裏から視ていた

孤島に屍骸、それの横に落ちていた日記。株の事とかを記録してある。

ずいぶんと更新が遠ざかっています

かなり間隔が空きました。
が、かろうじて生きてはいます。
はてなブログの年会費を払うのを止めたので何らかの広告が入り煩わしくなっていることと想像します。

売買はもちろん苦闘中。
ひっそりとⅩのアカウントで記録を残す程度の更新を続けています。
左のサイドバーにリンクが出ているはずですが、
大した学習もなく額も弱小なので特に誘導しているわけではありません。


コツコツとトルコリラ円のスワップを増やすという消極姿勢にシフトしているところですかね。

過去に訪問してくださった方々も当然に忘れ去って気にも留めていないはずですが、
万に一つ、一人でも生存確認の再訪があった場合に備えてメモ書きとしておきます。

やはり2月の終わりに長患いの父親が亡くなったことによる影響が大きく、気力が消沈したままというか、むしろ時間が経つにつれて深く落ち込んできているという状態。
長引いており日記などどうでもよくなってしまった。

そして、このような時期から海外からのアクセスが急増、というより爆増。
もちろん正常なものではないのだろう。何の目的か利用なのかは知るよしもないが、実害がないとはいえ気持ちのよいものではなくログインを遠ざける理由の一つにはなっていた。

今後はXでは書きにくいことなど、少しずつ吐き捨てる場として使っていくかもしれません。

近況、今後、ブログの放置について③

久しぶりの日記となった先週、前回。
少しずつ勝てるようになってきたが、売買記録を日記に残さないようにしたことが良い循環をもたらしているのではないか、というほぼ確信を得た心証を記した。

それから一週間が経過して月間成績はどうか。

月末に向かって大きく後退。途端に負けている。
日経225マイクロ、せっかくの一ヶ月間がふっ飛ぶ含み損を抱えてしまった。
苦悶の一部損切りを断行したうえでの数字だ。
まだ2枚の売りが取り残されている。

ホルムズ海峡に関して合意があっただの延期だの、やぱっり合意だの、しょうーもないやりとりに理不尽な値幅をブチ騰げた日経に置いて行かれた。

しかし、またまた含み損を抱え込んで失敗しているのなら売買記録を日記に残す残さない云々は関係ないのか・・・といえば違う。
むしろ更なる検証材料となって心証が補強された。

元々は一ヶ月間で10万円を目標にしていたところが5月20日の時点で13万円、しかも売り買い持ち越し建玉なしで確定をさせた利益ということを受け、久しぶりに日記を更新することにした。
その、ながら作業でのことだった。災難となる売り建玉を抱え込んだのは。
少し離されたので追加で売りを入れ、平均値を上げたが届かない。
さらに日経指数は上昇が止まらない。
注意や思考が散漫だった。
これは良くないと感じ、日記を途中でやめて画面からも離れた。

そして翌日へ。
上昇していた日経平均は、そのまま持ち越していた売り建玉の平均値まで急落してくる動きとなった。
ようやく「あー助かりそうだ」と安心。
この一ヶ月間、営業日をまたいでの持ち越しは2回あったかな?程度だったのに危ないところだった。
ということで、頁の途中でやめていた日記の続きを再開して更新。公開したのが前回まで、というわけだった。

そこから二時間ほど膠着が続いた後の米市場が開いてからだったはずだ。
イランとの合意が近いとの報道でいっきに持って行かれたのは。
つまり、助かりそうだという見込みで構えたまま、持ち越していた売り建玉は処分できていないままだった。
売り建玉を抱えたままで中東情勢に進展があればマズいぞ、と理解していたからこそ追いかけたナンピンで7枚もだ。

痛恨だったのは、同値の撤退もしくは薄利で利確の機会があったのに見送ったことだった。あの瞬間にマウスをクリックしていれば何の問題もなかったのに集中力がなかった。
やはり問題はそこだ。
同値で撤収なんてはるかに上等なのに、なぜ『何だかんだで助かりそうだ。せっかく長い時間を我慢したんだし、もう少し利益幅を大きくしてから待って処分しよう』などと、ぼんやりと甘い考えが勝ってしまったのか。

結果として再暴騰前の最後の押し目となったあの瞬間は、『勝てるようになってきた』という日記を打っていたタイミングだった。
アタマの中の集中が『勝てるようになってきている』から大丈夫だという過去に向いてしまっていたのだろう。
それで逃してしまった。このままま待っておけば大きく利益を伸ばせるかも、という錯覚を断ち切る集中力が必要だったのに。
リアルタイムの日経先物は随分と高い値から落ちてきているのだから、いつ強い反発があってもおかしくないという状況。しかしアタマの中では『勝てるようになってきた』イメージが自らの作業により先行中。緊張感が阻却されてしまっているというメカニズム。

たった数時間前だとしても過去を振り返っている隙に相場は先へ先へ進んで状況は変化し続けている。
そこで生じた認識のタイムラグが惨事への分岐点を作り出してしまている。
これまでもそうだったのだろう。

やはり売買記録はXのアカウントで簡素に残していくだけにする。

それが正解だ。

近況、今後、ブログの放置について②

26年5月20日はささやかな記念日になったのかもしれない。
世間から見れば何の価値もないし何の連動もしていない事柄だが。


先月(4月)のカード支払い出金後から、日経225マイクロの売買およそ一ヶ月の結果。
そもそも嘘をつく必要もない小さな事実だが、リアルタイム証拠金画像はXのアカウントの方で貼ってある。
20日の時点で、これまではじめて『勝った』と言い切る。

これまで何年も何年も、何をやっても負け続けてそれを受け入れ続けていたのに、なぜ勝ったと言えるのかというと5月20日の時点で持ち越し建玉・含み損が解消されてなくなったから。これが生きるか死ぬかの差。
つまり確定利益。ついに利益を確定させて数字を現実のものへと変換した。
これまではこの出口に辿り着くことができず、売買の深みに引きずり込まれたまま遭難からの生還を果たすことがなかった。

ある程度まとまった利益を『現実に』削り出すことに成功したことは、他人から見れば大した額でなかろうが自分としては人生の壁を一つ越えたことを意味する。

転じた要因を考えると、やはり毎日の記録を日記に残さないようにしたことで間違いはなさそうだ。
嘘みたいだが本当。
おそらくだけど、反省やら決意やらをダラダラと振り返っているうちにも、ながら作業でエントリーは継続しているわけで、さらにはその間にも相場は刻刻と変化している。
上手く表現できないが、どうもこのあたりで認識に齟齬や遅れが生じてしまっていたのではないか?
さらには余計な算段や執着も邪魔をしに出てくるのだろう。
やはり終わった売買は気にせず、サクサクと次へ次へと集中していく感覚の方が大事というか。
そのためには日記に費やす時間は有意ではなかったのではないか。
とにかく昨年末からの検証では売買記録を日記にしない方が良さそう、という結果になった。

ちなみに売買手法に以前との違いはないままだ。

近況、今後、ブログの放置について①

またまた久しぶりの更新になってしまった。
これまでに『生存確認』に来てくれていた方にも、もう忘れ去られていることでしょう。

ところで・・・
26年5月いっぱいで、昨年末まではほぼ毎日続けていたはてなブログでの日記を一旦休止することを決めた。
とはいえ消すわけではなく、放置するという感覚。
これまで年会費を払っていたものを停止するので勝手な広告が掲載されることになるだけ。邪魔だろうが、元より大した文章を書いていたわけでもないと言えばそれまで。

これから何回かに分けて近況や経緯を残しておければなと思う。

まずは最近(26年5月現在)の売買状況。
これはXで更新を続けている。
そこで何かの学習を発信しているものではないし、目的は簡易な記録用でアクセスを求めているものでもないが、一応アカウントはサイドバーに貼られているはず。
毎日の『生存確認』ならば、そちらの方が優位となることと想定します。

次項につづきます。

やっと身体だけは治ってきたが③

26年に入っても日経225マイクロで先物売買は継続している。そして早くも4月になった。
しかし、ここに記録は残しておらず日記も更新できていない。

まず、売買結果は毎日記録していかない方が良いのではないかという検証。
どちらかというと、意識を過剰にしない分だけ毎日記録を残さない方が良いのではないかとの結論。
では、ここの日記は放棄としてしまうか・・・というと思案するところ。
Xで公然とつぶやくよりも、墓場の裏で書き捨てる方が適していることもある。むしろそんな事案ばかりの世の中になってしまっている。
いずれにしてもホルムズ海峡騒ぎが落ち着いてからの最終判断。

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

いよいよか、いよいよなのかと苦しまされてきた父親の長患いが、ついに2月の末に終わりとなった。これが自分としても本当にしんどかったので、ようやく少し楽になれるのかな・・・との願いもあったがとんでもない。
実は嫌な予感、予想・・・想定はしていた。
ただ、その想定を上回るというのか、むしろ底を割るという方が適切なのか。

日記を更新することができなくなっていた理由は精神の擦り切れ。

まず一つに父親がいなくなってからの家族関係だ。とはいっても一人、兄がダボ過ぎて凄まじいストレスとなっている。

そしてもう一つ。本当にとんでもない。
Xなどではアタマのおかしな連中も徘徊しているから、誰も見ていないこの墓場の裏で呟いておく。
何処ぞの誰に乗っ取られてしまったのか。こんなにまで変容してしまうのか。
神戸だが、いよいよ異様となってきた。

家庭菜園日記はXへ移行して続けています。

落ち着いて日記を残す余裕がなくなっている現状です。
菜園に関する記録は下記のXに移行しており、
また、その他の意見などは他の人のポストへの返信やいいねを利用させてもらいながら簡易に済ませています。

https://x.com/IchijikuPlateau

 

もしも菜園日記を開いた方がおられましたら、Xのアカウントへの移動をどうかよろしくお願いいたします。

             

庭なし家庭菜園日記                     

やっと身体だけは治ってきたが②

あぁ、もう3月か。
放心状態だが書いておいた日記を整理しながら出していくか。
26年になって何がしんどかったと言うのか。
まず身体のことから。

年末の風呂場、掃除をしている最中に転倒。洗って立てかけておいた網がずれ落ちて横になっており、意識が向かないまま右足で踏んでしまった途端にズザーっと床を滑った。


文章で説明するより写真の方が早い。
この上に右足から体重が乗り、床を滑った

浴槽のへりに全体重を乗せてくずれ、右脇腹から強打。強い衝撃。
☆がチカチカして動けなくなったので肋骨が折れたのではと直感。確認するだけのため這うように近所の病院へたどり着くとやはり。それも2箇所。

とにかく身動きがとれない正月。痛くて痛くて、特に横になった体勢が一番の負担で激痛。起き上がるのが大変で、もちろん寝返りもうてない。

それでも骨折の治療など安静以外に特になく、右半身の痛みに耐えながら工夫をしての生活。日ごと少しずつ脇腹の痛みは改善へ。
ところが、そうなるとまた別の違和感。身体を動かすたびに走る激痛の震源は肋骨の骨折だけだと当然に考えていた。
しかし、腕など挙げられたものではなかった痛みが和らいできても、やけに半身が重い。子供の幽霊に右側を引っ張られているような感覚。

歯医者以外で通院など考えられなかった人間が、短期間で再び診断を仰ぎに向かうと盲点だった。
最初に先生に診てもらった時は脇腹の痛打が明確で強烈だったため、その旨が焦点だったせいで遅れたが、どうやら右肩関節の靱帯も一部損傷していたみたい。子供の幽霊の正体が判明したのだった。
手術となるとめちゃくちゃ大変なことになるので「放置」を選択。変な捻り方をしなければ差し支えはない範疇。
そして脇腹の痛みとともに、ようやく違和感がなくなったのが2月の後半。
と、いうところ。

しかし身体の動きがちょっと不自由になったら、それだけで精神力もガタっと崩れるね。いっきに年をとったように感じてしまい落ち込む。