墓場の裏から視ていた

孤島に屍骸、それの横に落ちていた日記。株の事とかを記録してある。

あぁ。あれから1年②

 血液採取・MRI・レントゲンと、大病院のシステマティックな事前検査の流れに身をまかせ、朝イチから4時間、5時間。ようやく若く有能感丸出しの先生の診察室に入った頃には、鼻を近づける必要もなく右手からの異臭を感じるようになっていた。近くの医院で昨晩巻いてもらっていた包帯とガーゼが解かれると、真っ赤に膨れた掌のくずれた穴から、イモムシみたいに膿が這い出た。想像以上に酷くなっていた。
 1年前もブログに残しておこうとしたけど、やっぱり白状していなかった部分を振り返る。
 ひっきりなしの人の多さに長い待ち時間、総合病院の慌しさ。当日だけでなく1週間分の疲れ。恥ずかしさもある。患部を診せた時に《よくもまぁ、こんなになるまで放っておいたものだな》という、先生と横の看護士との間に一瞬流れた呆れた空気は見逃さなかった。病気も怪我もなく無駄にここまで生きた自分としては慣れもなく、後ろの順番の人にも忙しい先生にも迷惑をかけてはいけないとの思いもあって、畳み掛けられる問診のテンポを崩さないよう、咄嗟に「カッターを使っていて、ちょっと失敗して・・・」と濁した。先生は訝しい表情を浮かべたので気付いていたのだろう、利き腕側の掌、しかも複数、カッターを持っていてこのような傷が入ることは絶対にない。嘘だ。しかし総合病院の気鋭の形成外科医としては、診察室の回転率を優先してくれたようで追求は逃れた。
 あの問診は今でも冷や汗、よく切り抜けたと思う。ただ、これでちゃんとした薬を処方してもらえるだろうから助かるなと安堵した直後、「傷口を洗い出しながらになるから麻酔は効きません」との宣告と同時に、掌をメスでザクザクとえぐられる想定外の荒療を受けたうえ入院の運び。別棟に回され、何の準備もしていなかったのに帰宅することは許されなかった。
 とにかくこの時の処置が人生で一番痛かったのは間違いないけど、どんな痛さだったかを思い出そうとすれば、やっぱり脳がシャットダウンする。そんな痛さから39度を超える発熱もあった病室。あれから1年か・・・。

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