墓場の裏から視ていた

孤島に屍骸、それの横に落ちていた日記。株の事とかを記録してある。

 帰ってきて順番にいろいろ整理している。入院前日に近くの医院で診てもらった後のブログが下書きに残ったままだった。公開したと思っていたのに。この頃は39度を超える発熱があったようだし、この後朝まで意識が眩む程の痛みと戦うことになる直前だったので仕方ないか。せっかくの記録なので残しておく。

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 病院から帰って一息ついた。が、点滴が体の中で戦っているのかゾクゾク。昨日か  ら全く眠れず痛みで悶絶。この1週間痛み続けて日ごとに悪化。今も激痛。なんと     か自力で対抗しようとしていたがついに限界超え。終診5分前に飛び込んだ。
 掌の膿を出そうと自分で突き刺していたらむしろ倍になって化膿してしまった傷 が、この24時間でさらに4倍になって恐ろしく膨らんだ。そして関係なかった部分 までも膨らんで痛みに痺れが加わってきた。「よくここまで我慢していましたねぇ」 と先生は驚き、紹介書で大きい病院行きとなった。この夏以降の株の大失敗と同じだ。遅すぎる損切りはとっくに手遅れだった。年中何と向き合っても愚かだ。
 脅しではないと念を押された。このままでは腕を切り落とすことに繋がる症状だ と。明日は掌と、菌が移動している手首を切り開いて洗浄する処置が必要らしい。株 と同じ愚かさといっても株の大損切りよりも恐ろしいじゃないか。生還したら早めの 損切りなんか余裕でこなせるメンタルを手に入れているかもしれない。無理な前向き はそれ位。
 (6432)ダイコク電機は約定していなかったが、(2491)バリューコマース100株が約定で3163円。何も貼れないしスマホにも指を伸ばせない状態。明日は今日より株どころではないと思う。

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 この翌日、紹介先の病院に向かうのだけど何かが臭くて手間取った。いくら病院に向かう患者といえども臭い奴が来たとは思われたくない。だけど臭いの元が分からない。台所でもトイレでもゴミ箱でもない。やっぱり自分の体だ・・・まさかと思って昨日の夜に近くの医院で消毒して包帯を巻いてもらっていた右手を鼻に近づる。っ!?・・・チーズが腐ったような臭いが包帯の下から滲み漏れてきていた・・・そして手首から肘に向かって不気味な赤い線がスーっと伸びていてピリピリとまた別の痛みを伝えてくる。本能的にこれはヤバイものだと感じたし、外に出ると例の漆でコーティングしたような視界が広がっていた。
 この数日前までは腫れた手を見て、珍しいから写真をブログに載せておこうかと思ったが、指紋とか掌紋をネット上で公開するのは危険だと聞いたような気がしてやめていた。まだまだ余裕があった。血液検査、レントゲン、MRIを経てようやく先生に対面して包帯がほどかれると想像以上に腐っていて、開放された膿が幼虫みたいに這い出してきて垂れた。すぐに処置に移るドタバタで写真なんか残す余裕はもはやなくなっていた。
 血と一緒にダラダラ流れて局部麻酔なんか全然効かない。間違いなく人生で一番の痛み。結構な時間と手間。「見ない方がいい」と先生に言われるまでもなく、チラッと横目に入った器具が思いのほか大層だったのでもう見ることはできない。そのままの入院は想定外。
 それから連日、傷口に詰めたタンポンガーゼなるものを引き剥がし、膿を絞り、洗浄し、またガーゼを詰める。どの過程も手首が床に落ちたかのような激痛。5箇所。汗だく。その後発熱。一日計6時間の抗生物質の点滴。5日目でようやく傷口を自分で確かめられる程度に回復した。

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手の形が戻ってきた

 傷口も閉じ、腫れも引いてきて最初の処置から半分回復した状態らしい。「頑張ってくれているんで治りが早いですよ!」などと、ここの先生や看護士さん達はやたらと患者を持ち上げていく方針のようだったが、自分はもう入院生活に完全に萎えていて何も頑張る気はなかった。

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12/4(信用買い・売り・計)

せっかく戻ってきても制度信用・先物共に裏目ばっかり。また動けなくなった。ピボットラインもまだよく判別できない。(6101)ツガミ100株。白紙を避けるためだけで他に意味はない。