墓場の裏から視ていた

孤島に屍骸、それの横に落ちていた日記。株の事とかを記録してある。

少年時代の一瞬は永遠

 今でもたまに夢に出て来る幼馴染だったYちゃんがいる。Yちゃんは30秒先の近所同士で幼稚園の時から一緒に行き帰り。小学校も同じクラスで、二人で競うようにダッシュで校門を飛び出し商店街の人を掻き分け家に戻り、ランドセルを放り投げてどちらかの家の玄関で宿題のドリルを適当に終わらせ、そのまま自転車で遊びに向かうというのが日常だった。
 その当時の二人の毎日の遊びは、これまで1回も通ったことのない道を全てクリアするという『探検』がメインで、まずは駄菓子屋で食料を調達し、「今日はあっち方向」「ここはまだ通っていない」と、子供の世界の容量を拡げに街々を走り回っていた。当然校区外にもどんどん『探検』に出掛けて行くので、誰が見て告げ口するのか先生にも怒られるし、自転車を降りて私有地のような家と家の隙間みたいな場所も攻めるから現場で直接大人に怒られたりもしたけどそれも思い出。後にして思えば地理空間の認識に関する脳の発育には良かったはず。小学生の本能で楽しんでいた。今のグーグルマップみたいに大雑把ではなく、市の中地区は野良猫よりも詳しかった自負。
 ただ寒い冬のある日、突然母親に「Yちゃんが死んでしまった」と知らされた翌週から、放課後に自転車で走り出すことはパッタリとなくなった。
 優しかったおばちゃんとYちゃんが車にはねられた事故は、NHKのニュースでも報じられているし新聞にもYちゃんの名前が載っているけど逆に全く実感を掴めず、その時はよく理解できなかった。さらに、学校では職員室に呼ばれて「お前が一番仲良かったからお別れの作文を書いて読め」と大人の自己満足演出を強制され、学校から学年全員が参列した葬式・告別式も、みんなは向こうで泣いているけどこっちはそれどころではなかった。大人に囲まれ緊張して頭は真っ白、会場での記憶はほとんどない。
 結局それから大人になって最近まで、実は悲しい想いに浸ったということはないままだったが、途中から、どうやら自分はあの事故を受け入れていないだけのようだとは気付いていた。それがこの数年、やたらと嘆く。Yちゃんと昔『探検』して記憶していった街角、路地裏、抜け道、家の並びの景観は次々と奪われていっており、東西南北に出歩くその都度立ち止まり、時間の流れを受け入れさせられる。その時にふっとYちゃんも現れるから仕方ない。
 今や近所の商店街も通った小学校も消え、屋敷は無くなりワンルームアパートばっかり。知った顔は見なくなったが中国語は耳に入ってくる。この加速する変貌に取り残される寂しさに、もしYちゃんと一緒に大人になれていたら、たとえ何処に住んでいても同じ所縁を持つ同い齢。心強い仲間でいてくれたのではないだろうかと虚しく考えたりもするようになった。
 だからなのか、これまでも同じようなニュースが伝わってくることはあったけど、より長い長い時間が過ぎた後のはずの今回の千葉・八街の事故(事件)などに、より息が詰まるような重さが増してきている。子供時代の一瞬は一生繰り返される仕組みのようだ。三軒先を右に曲がるYちゃんの姿を見送った金曜の夕方が何度も再生された1日。その場で横にいた兄と違和感を感じて顔を見合わせたけど書くとオカルトっぽくなるから止めておこう。あの後、おばちゃんと横断報道を青信号で渡っている途中、止まらずに直進して来た飲酒運転の車にはね飛ばされた。色々あってYちゃんの家はその後転出、ずっと更地。長く入院を経験したおばちゃんが何処かで辛い思いをしているのではと胸が痛い。

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6/28(夜)~6/29(日) ミニTOPIX 残り 買い5枚 売り4枚
松井証券先物OP余力情報より

今回の目標 建玉はその1日の営業日内で処分する
        ②6月25日の日中取引終了時点でプラス6万円
⇒11/11営業日経過時点 (プラス82298円)
目標を達成できず、建玉処分も保留中
13/11営業日経過時点 (プラス87876円)