墓場の裏から視ていた

孤島に屍骸、それの横に落ちていた日記。株の事とかを記録してある。

恐怖で勝てない

 全国屈指の衰退地方都市の最深部で足首を掴まれていると、日々の生活で目にする景色が現実なのか悪い夢なのかと困惑することを避けられない。
 もちろん自己責任。とっくに廃校となっている小学校・中学校の同世代は、さっさと脱出していて他所の土地で生活基盤を築いている。それなのに自分はわざわざ出戻ってきて拿捕されているのだから、株や先物で意味のない不要な動きから大損切りを繰り返す度、そこに愚かな人生を重ねてみては落ち込むことになる。
 中学・高校の頃より「もう此処ら辺は終わる。年寄りばっかりになって終わる」と周りにアラートしていた先鋒は自分だったので尚更に惨めだが、しかし、この『終わり』の景色は想像できるものではなかった。全然方向が違う。
 変化とは、時の流れで自然に起こるものだと決めつけていたことが思い違いの原因か。誰だっていつかは老いて死んでいくし、そういうものだと想像していたのが間違ったバイアスだった。
 実際は摂理ではなく思惑。思惑を持った者が携わる政治・行政が、保身で動かしている変異に苛まれる未来が待っていたとは。

nikkei225jp.comより

 18日から19日にかけての夜間セッションで痛い目に遭った動き。TOPIXはナスダックの方と強く連動している時間帯も多いけど、分かりやすくダウのチャートを借りれば、日付けが変わる時間帯を前後した二度の急落に誘い出された。
 値動きのペースが急な変化を見せると「来た!」と飛びついてしまう。それは間違いだと常に自分に言い聞かせているが、コツコツと稼ぐのは緊張感と疲労の割に見返りが少なく、足りない。大きな値幅がとれそうな気がしてしまい、逃してはいけないと誘い出される急な動きにどうしても引っかかる。
 19日のその後でいえば、午前2時から3時までの時間帯が「勝ち」と「負け」の分岐点だった。一直線に転じた急騰に、中損切りを往復で受け入れた直後の精神状態では対応が苦しく、売り建玉を握ったまま身動きが取れなくなり、引けまで連れて行かれる道中は諦めていた。
 挽回目的の一発狙いで容赦なく傷口を拡げられた明けて日中の取引は、すでに負けか大負けかの選択を迫られた状態での悪循環。いつものこと。
 
 とにかく、前段階で先に動くから勝てない。短い間隔の早い値動きに期待して騙される失敗ばかり。ゆっくりと構えて長い間隔の値動きが発生するのを待てばよいのにできない。
 これは、技術的な問題ではなく心理的な焦りからできない。このまちで暮らすままでは、含み損の建玉を握ったままのセッションと同じく展開の克服は難しいのかもしれない。近い将来に波及する恐れのある『最先端』の日本の姿が衰退地方都市にはあり、その底で負の影響を受け続けているから余裕がない。
 直接トレードに関係はなく、嘲られるだけの低レベルな言い訳であることも否定しないが、あるいは何処かの地方都市の在住者ならば何となくイメージをしてもらえるかどうか。生稲晃子にでも万歳可能な東京の人には無理だろう。