墓場の裏から視ていた

孤島に屍骸、それの横に落ちていた日記。株の事とかを記録してある。

 誰もがみんな死ぬ事は解っているし受け入れるけれど、死までの助走が長すぎるのが恐ろしい。耐えられる自信が無くて死にそうだ。「死んだらみんな同じ」「死んだ後の事なんか関係ない」という考え方の人は確かにその通りなんだけれど、それは狭い意味での死、言い換えれば生物的な死に対しての向き合い方で広い意味での死のハナシではない。広い意味での死はそんなに優しくはないようだ。
 当然恐怖を感じるのは生きている間であって、広い意味での死はその間の事を指す。よくもまぁ終活なんて平気でやれる人が居るものだと感心する。自分にはうらみ・つらみ・未練に思い残しが有り過ぎて不可能だ。でも手を付けなければならないので途方。
 介護や住居、時間や費用のやりくり、容赦無い社会の変化の中でそれらをやりくりする大変さを見聞きするようになり震える。近く自分も準当事者になる番が回って来るのは確実。そして孤独に当事者へと向かう。来週からでもその運命が用意されているかも知れないというのに・・・。

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8/5(信用買い・売り・計)

朝から随分と下げてくれていた。(6800)ヨコオの100株を買い戻し。どうせ反発はあるだろうと考えた通り反発するのだけど、利確は早すぎた。今日は絶対(4062)イビデンに売りで入ろうと狙っていたけど、想定していた指値で約定せず逃げられる。そこで・・・1日信用でコツコツ利益を足していたが、やはり危険ないつものパターン。全体が後場から反発するのは認識していたのに鈍臭い。
業者と約束の時間。長年、住居を移る度に車に乗って東へ、台車に乗って西へ、クローゼットに仕舞われていた時期を経て臨時に引っ張り出されてからさらに数年、ナショナル製のサブ冷蔵庫の臨終に立会い戻って来ると、凄い含み損。やむを得ず持ち越し。どうせ明日も朝9時に奇跡が起きる可能性は低いだろうし、マイナスからのスタートで大苦戦するんだろう。