墓場の裏から視ていた

孤島に屍骸、それの横に落ちていた日記。株の事とかを記録してある。

一旦、口座を清算へ②

 /今回も堅実な再(再々再々)スタートで歩き始めていた。売買の場所をミニTOPIXへ移し、無理はしない、建てるのは1枚分・・・負けなければ勝ち。絶対に持ち越さずに1日ごとに処分をすると決め、実行もした。6月11日の売買でも、夜間の1万6000円程の増加額は大きく削られたが、2000円のプラスが残る時点でそれをキープする為の信号を人差し指に送ったことは確か。しかしクリックは実行されずに雪崩に巻き込まれる。そもそも前段階で、夜間のセッションを終えて1万6000円のプラスでノーポジション、SQ前後はしばらく様子見とのセルフチェックも済ませておきながら、午前中、半分寝たままの脳で1000円程度の上積みを狙ってなぜ2枚建てをしているのか?自分自身に腹が立ち、それを受け入れる損切りクリックが重い。似たことを繰り返している。病気だ。
 初期、現物だけで本気ではなかった10年前、株なんて特に精神論から一番遠い場所だろうとと考えていた。客観的な数字と手法が全てなんだろうと。しかし単純ではない。この2・3年で気付いたし思い知らされた。間違いなく株は精神力。ただ、広く精神力と言っても強く高める意味合いではなく、静かに整える方向の精神力。それが1周回ってからやっと客観的思考へと繋がって行く。
 ところがその辺が現在の自分には不可能。例えば直前では、解体に向けて足場が組まれた卒業した小学校前で呆然とさせられること等が象徴的で、更地にされる光景を受け入れるための「貯金」を作っておかなければとの思いが、意識されるのか無意識なのか滲み出てくる。恐らくこれが難儀の元で、1000年間の歴史でも2・3度目かの壊滅的蹂躙を受けている最中の、生まれ育ったこの市中に居ては回避できないという末期の結論に至った/

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6/12(夜)・6/13(日) 東京金(限日) 残り 買い2枚 売り0枚

 しばらくは東京金(限日)だけに控える。しかしこの金先物、取り扱っている業者のホームページなどでは、為替や株価と反比例すると単純に説明しているところもあるが 、全然。気まぐれでよく分からん。