墓場の裏から視ていた

孤島に屍骸、それの横に落ちていた日記。株の事とかを記録してある。

2月・3月損益 2020

 アマゾンプライムでザ・テラー(シーズン1)を観た。連続ドラマでは久々に共鳴できる当たり作品に出会った。最近は自分も死について考えさせられているので、救いはないし暗いし怖かった。しかし、リアルな歴史に少しのファンタジーを混ぜた都市伝説には未だ好奇心が湧く。
 早々に漂う空気感はレンタルビデオDVD文化時代に観た『ジェボーダンの獣』(期待ハズレ)と共通する。そして『八甲田山』、『生きてこそ』の要素も混じるのか。しかし間もなく確立されたザ・テラー(シーズン1)の世界に食い入る。10話分の豊富な時間と制作費、素晴らしい題材に美しい映像、視聴者を信頼して最低限の説明に留める構成、そして役者の力量に惹きつけられてしまい、独立した新鮮なエンターテーメントとして心に収納された。士官の威厳や不安を伝える演技はもちろん、脇役にいたっても焦りや苛立ちを伺わせる指先までの隙のない表現は、役者個人の資質なのか演出指導によるものなのか。カネのあるNHK大河ドラマもこれくらい重たくやってくれたら価値があるけどな。まぁ最近はテレビも遠ざかっているし、知らないところにケチを付けるのはよくないけど。
 ジェボーダンパートは中盤からのミステリーサスペンス要素への転換へ向けて、観る側にこのドラマの受け入れ方のルールを説明している。つまり史実にフィクションを混ぜていく過程での抵抗を忘れさせるギミックになっていると感じるので、レビューにある不要意見は自分には当てはまらない。

 ところで2月から損益を記すことを忘れていたことに気付いた。2月、日経先物でいっきに勝負に出ようとアクセルを踏みこんだところへのコロナカウンター。凄まじい歴史的乱高下とその増幅は絶え間なく、信用取引どころではなくなった。追加の証拠金の振り込みが必要になった回数はもう分からない。その都度に現物も信用も問答無用の処分、もちろん新規建てなど不可。それどころではなかった。
 その道中の日記にも《遭難》と表現したが、この《遭難》とは子供の頃から何回か観た『八甲田山』のイメージが頭によぎってのもの。これからは《立ち往生》と記す時に頭に浮かぶイメージとしてザ・テラー(シーズン1)が残っていくだろう。改めて思ったのは、一度奈落へ転じた運命はどう足掻いたって無駄。株でも人生でも時間の無駄。
 とにかく2月以降、ザ・テラー(シーズン1)の世界のように行く手を阻まれ船を放棄。果てしない未開で危険な徒歩。何もない荒野からの生還を目指している心象。持っていた荷物は捨てた。信用の損益記録は残念ながら中断ということ。

 外に出ると自粛官憲がうろついている・・・シーズン2はあまり興味がない舞台のようで残念だ。他に何かないか・・・。