墓場の裏から視ていた

孤島に屍骸、それの横に落ちていた日記。株の事とかを記録してある。

 しかし、中日の与田監督は軽いノイローゼなんじゃないか。応援の歌詞の「お前」が不適切に感じるとは・・・。みんな高いチケット・交通費・時間を割いて、オーセンティックのユニフォームなんか目茶苦茶高いし、チームグッズもたくさん購入してもらって、一体となって戦っているというある種の錯覚だが健全とも言える幸福。それらを提供して報酬を得ている立場を見誤っているのか。
 プライベートの飲食店で、知らない奴から「お前」呼ばわりで時間を取られたら文句を言えばいいだろうが、球場で応援してくれているような人達は、たとえプライベートの場で選手と遭遇しても「お前」と言ってこないだろう。常識的には「〇〇さん」か、そもそも声を掛けずにそっとしておくか。普通の脳なら全員が使い分けているはずだ。同じ「お前」でも時と場によって意味が違っている事、
 気持ち悪くなるのは「子供たちが~」と言ってバリアを張った気でいる事だ。「欧米では~」と頭に付ければ自分のコメントに合理性が生じていると勘違いしているしたり顔と共に、この手の連中は知能が低いのか、それとも知能の低い奴を相手にして従えれば保身を続けられると踏んでいるのか・・・いずれにしても状況によって内容が適切であったり不適切になったり変化する社会のあらゆる事象の本質を探らず、全て額面の外枠だけを判断材料にして押し切ろうとする無能(無脳)が世の中に増えているのは、与野党問わず、2割の正しく見える理由を押し出せば、残りの8割の弊害はどうなっても気にしないという、丁寧ではない政治の進め方の影響じゃないのか?無駄に参議院選も始まるらしいが。
 国会答弁の作文と与田監督なんかのコメントに、どこか共通点を覚えるんだけど上手く表現できずにしんどい。

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7/5(信用買い・売り・計)

なんせ、この調子だから。