墓場の裏から視ていた

孤島に屍骸、それの横に落ちていた日記。株の事とかを記録してある。

 後々の何かの為、せっかくだから心境も含めて株取引の推移を残している。その当事の心境も含めて株取引の記録だと思う。
 非独立で広告放送を垂れるだけの大手マスコミは、お抱えコメンテーターの連中も使い、大衆扇動に躍起になって、本来こいつらの愛用する武器であった「人権」を全く無視した追い込みを仕掛けている。コメンテーターは優越なんだろう、胸を張っている。自分達は社会に役立つ仕事をしているという自意識があるからこそ可能な、辛辣な言葉の数々だ。
 しかし、客観的に見てこいつらも、各局朝も夕も横並び、同じ新聞・週刊誌を拾って来てあーだこーだ好き勝手に無責任をほざいている乞食仕事。自分の足で深く取材した題材ではない。こいつらの仕事が、人に『勝手に死ね』だの、殺人者の『覚悟』だのを擁護するような、生殺与奪の指針を定めて社会に広められる程立派なのであれば、株価ボードを見てあーだこーだとクリックしている全員も大して違わない。自己責任な分だけマシじゃないか・・・いいの?
 一連の意向は何なのかと併せて考える。自分も含め下位層、やはり一定ライン以下の労働者、この先数年のイノベーションによって削られる古い質の勤労者は、向き合いたくないだろうが奥底の焦りを自覚していて不安なはずだ。そんな毎日に、自分よりも下に的を設定してもらって喜々としている人もいるようだが誘惑だ。何も考えず、指差し通りに扇動に乗っかった暴力で得られる安心感は甘いが、怒られる事は無いというだけの場所に固定させられてしまう企みを、誤魔化されて見失う恐れと引き替えだ。それこそ、この先数年に予定される急激な社会構造の変化の後、自己責任論を突きつけられるという事にならないか。
 この1週間、もれなく使用者側・権力側と同体であるメディアで行なわれている攻撃の本質には、現状の畜生を今の場所に充足させておくための見せしめが含まれていると思う。その過程でネタコジキとして組み込まれるのが本望でないのであれば、不必要に握り込まされる石コロを払って解放されるべきだ。自分は絶対にその社会工学に関わりたくはないと、決意を新たにしている。


今日も上手くなかったが、とりあえず制度信用のデイトレで1万円の利確をした。自分には、残念ながら社会の変化を追いかけるスキルは備わっていない。

f:id:GIONN-SOMIN:20190606172243p:plain

6/6(信用買い・売り・計)

この積み重ねしかないだろう。